SHIZUKA&KAITOのママ

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zoom RSS あれから丸12年の歳月が・・・

<<   作成日時 : 2007/01/17 12:40   >>

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1995年1月17日未明、阪神淡路大震災が発生しました。
その日、その時刻になどと誰もが予期せぬ大地震・・・これが天災の恐ろしさ。
もしあの日、6時を過ぎて地震が起こっていたら、私はSHIZUKAとKAITOを連れて朝のお散歩に行ってる時間帯だったので、思い出しても怖いです。きっと二頭連れた私は外でパニックを起こしていたかもしれません。

ちょうど神戸の街とは海を隔てた、ほぼ対岸に位置する大阪の私の住まい。
ゴォーーーーっと言う異様な音に家族中が飛び起きました。二人の子供達もまたSHIZUKAとKAITO達も一斉に私達の傍に。長く続く異様な揺れにものすごく不気味なものを感じたことは今でも鮮明に。本棚の本が音を立てて落ちていき、食器棚の中のものが音を立てていました。地響きに始まった異様な音、そして静けさ、異様な揺れ、それらが妙に長く感じられたのを覚えています。


異様な空気を感じ取り、その瞬間からしばらくのあいだ私達に身体をピッタリとくっつけて離れなかったSHIZUKAとKAITO・・・当時3歳。
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それまでは、関西地方は普段あまり地震が起きないこともあり、非常時持出し袋とか防災袋と言う物も家には用意した事がありませんでした。でもあの大地震以来「防災グッズ」の数々を入れた袋を我が家にも用意しました。もちろんワンちゃんのフード・水・リード(予備)なども準備しています。

書きとめた当時の私の日記から少しだけ・・・
震災から7日目、主人と私はボランティアに参加するため神戸入りを決心しました。と言っても普段の生活も有りましたので、出来る限りの日々を往復しました。悲惨な現状が映し出されるTVのニュースに、居ても経っても居られませんでした。

パソコン通信を通じて長年お付き合いの有った神戸に住むご夫婦、友人達のことも気になりました。神戸への交通手段は大阪天保山から神戸ハーバーランドへ観光遊覧船が救援物資や人を運ぶために何往復もしていましたので船も利用し、あるいは電車を寸断されている手前の駅まで乗りついで、そこから延々歩いて神戸入りしたり・・・と、あらゆる手段で行きました。ボランティアで神戸に入る方、当時は皆さんそうでした。

我が目を疑う光景とはあのことか・・・倒壊した建物、寸断された線路、高架が走っていたハズの目の前の高速道路が無い・・・。燻る煙で喉が痛みます。埃が舞い上がっています。時おり崩れる家屋も目にします。無残に化した街の光景に心拍数が上り、三半規管が影響され吐き気をおぼえます・・・それでも被災者の方達のことを考えると、私達が頑張らないと。多くの避難所で信じられない光景も多々目にしました。極限に接する人間の姿にも衝撃を受けました。・・・でも、どれもこれもいつ起きるか解らない自分達の姿でもあるのです。
走り回る救急車、消防車、パトカーなどのサイレンの音、空を何機ものヘリが飛び交います・・・

ライフラインがなかなか復旧しなくて、お湯を沸かすのにと頼まれて、日本橋の電気街で「電熱棒」を有るだけ買い占めて運んだこともあります。寒い季節のお湯は貴重です。温かい飲み物もそのお湯で飲むことが出来ます。
色々な貴重な経験をさせてもらいました。

あれから12年
犠牲となられた方々へのご冥福を心よりお祈り致します・・・

戦争も天災も様々あれど、平和に暮らせることの大切さ・・・
この震災での事は色々と考えさせられました。
他にもまだ色々と書き留めてありますが、段々と時間が経つにつれ記憶が薄らいで行く中、自分なりの教訓とし時々読み返すようにしています。



慎ましく平穏に暮らせることが、一番の幸せ・・・
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コメント(24件)

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そう、12年前の今日でしたね。私は、ちょうどその日、有給休暇をとって家でのんびり寝ていたんです。そして、会社から無事かどうかの確認の電話を頂いて、テレビをつけてびっくりしましたっけ。どんどん、状況が悪化していくんですもの。
戦争時の話を親から聞いても、あまり実感できないのと同じように、同じ目に合わないと、その人たちの思いは本当にはわからないものなのかなぁとも思います。
Noriko
2007/01/17 14:34
ヾ(〃^_ゝ^)ゞこんにちは
ボランティアに参加なさった事、尊敬します。
あの朝、TVに次々と映し出される衝撃的な
映像は今でも記憶に残っています。
あれから12年、被災者の心に残した傷は
未だ癒えることなく、その記憶に苦しむ
方々が多くおられると聞きます。
犠牲になられた方々のご冥福を心より
お祈り致します。 合掌

2007/01/17 14:41
今晩は。
JUNKOさんボランティアなさったのですね。えらいですね。私達の所は奈良県よりですが、震度4でかなりの揺れでした。それに長く感じられた事。最初はテレビでもこんなに大惨事とは分からず震源は何処かなくらいしか、思いませんでしたが、次々と犠牲者の数が増えるし惨状が映し出され呆然とした事は今でも決して忘れていません。防災グッズも取り揃えて枕元において寝ていました。
私達が忘れてはいけない事ですし忘れられませんよ。人生が随分代わった方も多いことでしょう。犠牲者とそのご家族に黙祷をささげます。
のろばあさん
2007/01/17 20:48
もうそんなに年月が流れていたんですね。
献身的にボランティアされて、JUNKOさん自身も大変だったでしょうに、本当に良い方ですね。(尊敬)
あの時被災して野良になってしまったワンコ達は一体今どれぐらい居るのでしょうね…
霧香
2007/01/17 21:48
今年は震災で犠牲になられた方の13回忌で今まで以上に故人を思い出される方が多いことでしょうね。「災害は忘れた頃にやってくる」私たちひとりひとりが備えを忘れないようにしたいものですね。
Mickey
2007/01/17 22:16
もう12年ですね。私達家族は その前の年の11月に 今の家に引っ越したばかりでした。家を新築して 引っ越して2ヶ月で地震にあったわけです。震度4でしたが かなりゆれました。主人は長崎に出張で留守。まだ犬は飼っていませんでした。「あ〜家が壊れたらどうしよう 家がなくなってローンだけ残る〜」と思いましたよ。でも 幸いなことに ひびひとつなく 茶碗ひとつ割れませんでした。
ボランティアをされたのですね。すばらしいことだと思います。私は何もできませんでした。ただ 募金は精一杯させていただきました。早いものですね〜。もう12年か〜。
あさがお
2007/01/17 22:24
心で思ってもなかなか行動できることではないのに、ボランティアへの参加…尊敬します。自然災害の中で地震は予測がつかないので、その被害に遭われた方のショックは想像することもできません。受けてしまった被害を消すことはできないけれど、その傷を深めてしまうのも逆に癒してくれるのも人とのかかわりの中にあるのだと思います。JUNKOさんのブログを読んでこのことを改めて心しました。
sakura
2007/01/18 00:48
Norikoさん こんにちわ〜(*^^*)
ほんとあの日のTVのニュースは見るたびに被災場の状況が悪化していましたね。Norikoさんのお住まいの市内のあたりも揺れが大きかったでしょ。あんなに長く大きく揺れていたのは、私も始めての体験でした。
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/18 09:25
姥さん こんにちわ〜(*^^*)
尊敬などと、とんでもないです・・・
本当にあの出来事は衝撃的でしたねぇ。
神戸は住まいから比較的近くだったので、お手伝いにも行く事が出来たのだと思います。現場は人手がとても不足していました。現地で"元気村"と言うのを発足させていたので、そこへ登録しておいて人手不足の場所へと行きました。
丸12年過ぎても、仰るよーに被災者の方の心の傷は未だ癒えることなく消えません。
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/18 09:45
のろばあさん こんにちわ〜(*^^*)
のろばあさん宅のも揺れが長く大きかったのですね。ホント、思い出しても怖いです。あのゴォーの響き音から始まったあの惨事に、今も「ゴォー」っと言う音がすると耳を澄まして反応してしまいます。
仰るよーに、人生が随分代わった方も多いかと思います。 私の友人もハーバーランドでお店を経営しておられたのですが、震災後のお店の復旧に大変な思いをされ、かつ当時は観光客も減少し経営にも破綻し、震災までは順調に行ってたお店もついに閉めざるをえなくなりました。でも彼らは言ってました。命が残っただけでも有り難いと思わないと・・・と。
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/18 09:55
霧香さん こんにちわ〜(*^^*)
当時、ワンちゃんネコちゃん達も大変な目にあったようです。避難所では一緒に暮らせないし・・・
家屋の倒壊と共に犠牲になった子達もいっぱいいました。 惨事のあと、たしか能勢の方の団体が飼い主さんと逸れた子達や野良ちゃん達を保護してくれていたと思います。
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/18 10:00
Mickeyさん こんにちわ〜(*^^*)
ほんと、もう丸12年が過ぎたなんて驚いてしまいますねぇ・・・
神戸の街の復興は目ざましい!と言われてますが、まだまだ12年たった今でも復興していないところもあります。街はたしかに、震災の跡形も無く見事に再建されていますね。あの地震以来、地震速報には敏感になりました。
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/18 10:05
あさがおさん こんにちわ〜(*^^*)
新築二ヶ月で・・・丈夫なお家で良かったです!(*^^*) あの様な非常時にご主人がお留守とは心細かったでしょうね。うちは揺れが治まるまで家族が一部屋に固まっていました。 
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/18 10:12
おはようございます。
余震にもビビリましたよねぇ。
亥年って天変地異が多いらしいです。
伊勢湾台風、えっと、江戸時代のなんちゃら・・・・ごめん、最近物忘れ激しくって・・・
12年前も暖冬でしたよねぇ。
今年も亥年で暖冬。
何も無いことを願いますわぁ。
まーちゃん
2007/01/18 10:22
Sakuraさん こんにちわ〜(*^^*)
そうですね・・・人と人との関わりの大切さ。
何かしなくちゃいけない、私にできることは?
私がもし被災者の立場なら・・・?
この震災に遭遇する事によって、数え切れないほど多くのことを考え、学びましたね。
当時のことを振り返ると、いまだ思い出しても胸が痛くなります・・・
昨日も被災者やその家族の方々のインタビューがニュースで流れていましたが・・・うーん、たまりませんね。
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/18 10:23
まーちゃん こんにちわ〜(*^^*)
暖冬の亥年に天変地異が多い・・・怖いですー。 ほんと、昨日、一昨日も三月下旬の気候とかって言ってましたね。何事も無く穏やかに亥年が過ぎて欲しいですねぇ・・・と、新年明けたばかりだけど(^^;)そー思いますね。
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/18 10:27
私もこの日のことは鮮明に覚えています
東京でも揺れを感じ飛び起きました。
テレビをつけても最初はどこが震源地かわかりませんでした。義弟の嫁が風邪で入院したと電話があり、病院にお見舞いに行ってお昼に帰って来る途中に関西と知りました。
奈良の実家に電話をしたら通じませんでした。
大阪の叔母さんの家にもつながりませんでした。テレビではようやく神戸の焼けた家屋の映像が写されすごいことだと知りました。
兵庫には共に、インターをした友達が多くいます。心配ですが連絡がとれませんでした。
ボランテァに参加されたんですね。
息子もボーイスカウトで参加を希望しましたが
年が若いと行けませんでした。高校受験の合格がきまり手続きに行った駅がサリン事件があったところでした。数日違いで助かりました。二度と起きてほしくないですね。
ロ〜ズ
2007/01/18 13:50
あの日(1月17日)の出来事は忘れませんし、二度と起きない事願いますね。
大阪のおばちゃん
2007/01/19 00:03
ロ〜ズさん おはよ〜ございます(*^^*)
東京の方でも揺れたのですね・・・
関西にご実家がおありなんで、心配だったでしょ・・・
電話回線もパンクしていましたものね。ほんと、嫌な事件・事故・天災起きて欲しくないですね!!
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/19 08:56
大阪のおばちゃん おはよ〜ございます(*^^*)
仰るとーり、あの日のことは記憶から消えることは無いでしょうね。
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/19 08:58
関東人の私は関西の方より地震に敏感です。大きな音と共に縦、横揺れ。子供達を起こし窓を開け辺りを見渡すと、我が家だけがパニック状態でした。関西の人は地震に鈍感なのかしらと言う記憶が残りました。次々放送されるTVに釘付け東京の父は朝6時から電話をかけ続けてくれていたようですが、繋がらず心配していたとか。こちらからかけるほうが繋がる事を確認しました。JUNKOさんはボランィアに参加されたのですね。勇気ある行動に頭が下がります。私たちがけして忘れてはいけない天災です。12年の歳月が流れました。犠牲になられた方々の無念を感じる時慎ましく平穏に暮らせる事を本当に幸せと感じなくてはいけません。合掌m--m
涼華
2007/01/19 10:14
涼華さん こんにちわ〜(*^^*)
涼華さんの仰るとーりです。関東、関西ではそれまでは地震に対する心構えが違っていたのは確かです。慣れていると言うのは変ですが(^^;)地震に慣れていた涼華さんの対処の仕方は正解でしたね。あの後に近所に住む東京出身の方から「揺れを感じたらまず一番は逃げ道確保!」の大切さを教えてもらいました。マンションのドアなどは歪んでしまうと重たくて開かない、脱出するためにも窓は出来る限り開け放す!大災害で大変でしたが、学ぶことも多くありましたね。予測できない事件・事故・天災は怖いです(>_<) 穏やかに生活したいですね・・・
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/19 11:01
私もあの時の事は鮮明に覚えています。
「ちょっと大きい地震だな」と思って目が覚めましたがまた寝ました。朝起きてテレビを見て我が目を疑いました。とても遠くの知らない国で起きていることのようにしか思えませんでした。。。
それがだんだん身近な事と思えるようになってきてとても恐ろしかったです。
あのときの心の痛みは今も変わっていません。。。変わってはいけないと思っています。
風子
2007/01/23 21:44
風子さん おはよ〜ございます(*^^*)
本当にあの大災害は記憶の中から消え去ることは無いですね・・・
決して忘れてはいけないことだと思います。
SHIZUKAとKAITOのママ
2007/01/24 08:58

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